2011/03/13

TRON Legacyの聖書的考察

 多くの映画でもそうだが、聖書的な物語構造が垣間見えることがある。最近見た映画、「TRON Legacy」を例に挙げると次のような引用があると考えられる。

TRON Legacyに見られる聖書引用
①Kevein Flynnゲームグリッドの創造→天地創造
②ゲームグリッドの崩壊とそこから脱出するSamとQuorra→楽園追放
③KevinとSamとQuorra→三位一体(父と子と聖霊)
④現実世界の人々はゲームグリッドに希望を、ゲームグリッドのプログラムたちは現実世界に野望を抱くという二重構造→地上は天に天は地上にあこがれ天使たちが堕天したという言い伝え。

①に関しては言うまでもなくKevinを創造主として作られたゲームグリッドと聖書の天地創造を重ねたものである。 その理由としてKevinはプログラムを用いてゲームグリッド上い創造物を作ることができるがKevinのコピーであるCluはそれができない。また、Kevinが自分のコピーを創る行為はアダムの想像に近い印象を与える。なぜなら、「人間は神の似姿」、つまり神は自身の姿に似せて人間を創ったという説があるからである。

ゲームグリッド脱出。
②については一般的に思われている楽園追放とはまた違った表現が本作品で見られると思う。ゲームグリッドはその誕生から現在にかけて腐敗していることがわかる。また、CluがKevinの隠れ家でリンゴのを手にとることから、Cluは楽園追放を招く誘惑の蛇であることが暗示されている。 しかしながらゲームグリッドからの脱出は楽園追放として聖書のままの解釈で考えることはできない。それもそのはず、Quorraはリンゴを暗示するようなものを獲得していない。ラストのシーンでSamとQuorraが脱出するシーンは楽園から追放されるアダムとイヴの印象を受けるが、それは彼らが罪を犯したからではなく、腐敗した楽園から彼らを救いだすというKevin、つまり創造主の願いからくるものであると考えられる。そこまで推察すると、真の楽園とは人々が希望を抱いていた楽園のことではなく、皮肉にも現実世界であるというメッセージが読み取れるのではないだろうか?それと同時に映画冒頭のKevinの演説とCluの演説の台詞がほぼ重なることからも、楽園とは現実とそう変わらないという矛盾したメッセージも暗に読み取れる。「現実を受け止めろ」という強いメッセージが込められているようにも思える。 推察しすぎではあるのは否めないが…。


おそらく、まだまだ語れることはあるかもしれないけど、今日はここまで。